はじめに──「ちゃんとしなきゃ」と思い続けていた私へ
50代になった今、ふと思うことがあります。
「あれ、そんなに頑張らなくてもよかったんじゃない?」
若い頃からずっと、「ちゃんとしなきゃ」「人に迷惑をかけちゃいけない」と思い込んでいた私。
でも今は、へぼいところも、抜けてるところも、「これが私」と笑えるようになりました。
今回は、そんな“完璧じゃない私”を受け入れられるようになった気づきを綴ってみようと思います。
同じアラフィフ世代の誰かの心が、少しでも軽くなれば嬉しいです。
完璧主義にしばられた30〜40代
家事も仕事も「ちゃんとやらなきゃ」に疲れてた
20代後半から30代は仕事に追われ、40代になると親のことや体の変化も気になり始め、
とにかく毎日「ちゃんとやらなきゃ」と自分を追い詰めていました。
「部屋が片付いていないとダメ」
「子どものお弁当、手抜きしてはいけない」
「職場で迷惑をかけないように…」
誰が決めたの?と今なら思えるルールに、自分をがんじがらめにしていたのです。
人と比べては、自分を責めていた
SNSでキラキラしている誰かの投稿を見るたびに、
「私は全然ダメだなあ」と落ち込んでいました。
周りと比べて「足りない」と感じてばかりだったあの頃。
“ちゃんとしてる風”の誰かと、自分を比べて苦しくなっていたんです。
50代になって気づいた、へぼくても大丈夫な理由
できない自分を笑えるようになった
ある日、スーパーに行ったのに財布を忘れた私。
以前の私なら、自己嫌悪で何日も引きずっていたはず。
でもその日は「あはは、やっちゃった」と笑えました。
ちょっと抜けてる自分、へぼい私も、「人間らしくていいじゃない」と思えるようになったんです。
頼ることが自然になった
50代になってから、変にカッコつけずに「助けて」が言えるようになりました。
重い荷物を運ぶ時、道に迷った時、誰かに声をかけられる。
それが「甘え」ではなく「人とのつながり」だと気づけたからです。
弱さや不完全さを見せられるって、実はすごく素敵なことかもしれません。
「完璧じゃなくても生きていける」と思えた瞬間
周囲の人も、実はみんな“へぼい”と知った
ある日、友人たちとの雑談で「最近、老眼ひどくてさ〜」という話に。
みんなが「あるある!」「私なんてエアコンのリモコン、冷蔵庫に入れてた!」と爆笑。
“へぼい”のは自分だけじゃなかった。
それどころか、そんな話を笑って言い合える関係が、心地よくてたまりませんでした。
「ちゃんとしてない私」が愛おしい
家事が完璧じゃなくても、メイクを忘れて外に出ちゃっても。
私という人間は変わらずここにいて、ちゃんと生きてる。
「今日もよく頑張ったね」って、自分に声をかけてあげたくなる日が増えました。
まとめ:へぼい私も、私の一部。アラフィフはもっと自由でいい
完璧を求めることを手放したら、心がふっと軽くなりました。
50代って、思っていたよりも自由で、やさしい時間が流れている気がします。
誰かと比べなくていい。
ちゃんとしてなくても大丈夫。
へぼいところも、笑って受け入れていこう。
それが、私がアラフィフになって見つけた「本当の強さ」なのかもしれません。
コメント